愛する者よ,あなたの魂が栄えているのと同じように,あなたがすべてのことにおいて栄え,また健康であるようにと祈っています。 ヨハネの第三の手紙 2
健康
健康のために必要な7つの条件

1. 運動
2. シンプルな食習慣
3. 日光
4. 休養
5. 純粋な水
6. 清浄な空気
7. 日々の宗教的な交わり

愛する者よ,あなたの魂が栄えているのと同じように,あなたがすべてのことにおいて栄え,また健康であるようにと祈っています。 ヨハネの第三の手紙 2
聖書における食習慣と健康



「こういうわけですから、食べ物と飲み物について、あるいは、
祭りや新月や安息日のことについて、だれにもあなたがたを
批評させてはなりません。」(コロ 2 章 2:16)

これはどのような意味を持つのでしょうか。
 
どんな植物でも食べてよいということでしょうか。
どんな動物でも食べてよいということでしょうか。
どんな飲み物でも飲んでよいということでしょうか。

私達はなにを口にすべきでしょうか。

「神である【主】は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」(創 2 章2:16-17)

人間が罪人となる前に、果物や野に咲く草花が、人間の口にするものでした。(創 1 章1:29)

この世の始まりに、人間が罪人となる前に:









1. 種ができるすべての植物
全ての草花には種ができます…(木材質の持続性繊維を持たない種子植物)
穀類 – 小麦、とうもろこし、ライ麦、オオムギ、コメ、オーツ麦、雑穀など
種 – ひまわり、ごま、亜麻、かぼちゃなどの種
豆 – 大豆、レンズ豆、エンドウ豆、およびその他の豆
種子を含む多肉植物 – なす、おくら、ピーマン、スカッシュ、グリーン・ビーンズ、かぼちゃ、きゅうり、トマト、メロンなど

2. 種ができる全ての木
…および、種ができる果物のなる全ての木です…(木材質の多年生植物、灌木、茂み)
果物 – 柑橘系の果実、甘みのある果物、ヤシの実など
ナッツ類 –  アーモンド、ペカンの実、カシューナッツ、ブラジル、クルミなど
人間が罪人となった後、彼はエデンの園を追われ、もはや素晴しい生命の木に近づくことはできなくなりました。人間は地を耕すことで生きる糧を得るしかなくなりました。そして「野の草花(もともとは動物の食糧)」がその食糧に加わりました。

創 1 章1:30 「また、地のすべての獣、空のすべての鳥、地をはうすべてのもので、いのちの息のあるもののために、食物として、すべての緑の草を与える。」そのようになった。

この世の始まりに、人間が罪人となった後に:

「また、人に仰せられた。あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」(創 3 章3:17-19)

3. 野生の植物
土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。(創3章 3:18)

葉 –  ビートグリーン、ブラッセルスプラウト、キャベツ、コラードなど
花 – グローブアーティーチョーク、ブロッコリー、カリフラワー
根 –  ニンジン、ビート、ジャガイモ、カブなど
野菜(緑の草花)は人間に与えられた食習慣の一部ではありませんでしたが、罪人となってから人間が口にするものに加わり、今日の食習慣の一部となっています。

主の愛により、口にできる植物類の詳しい導きがあったため、人間は毒をもつ植物を口にせずにすんでいると信じます。

人間はまたも主によって、野生の緑色の植物(草花)のみ口にすることができると教えられました。ヘブライ語での草花は、ヘブライ語で書かれた聖書にある32の節のなかに33回登場しています。私達は今日、歴史的な文脈のなかで、すべてのヘブライ語について完璧に理解しているわけではありませんが、特定の植物のことを指していると理解されています。聖書には、誰かが毒のある植物を口にして死に至ったという記述は見られません。

洪水の後で:
4. 動物の肉

創9章 9:3「生きて動いているものはみな、あなたがたの食物である。緑の草と同じように、すべてのものをあなたがたに与えた。ただし、肉は命である血を含んだまま食べてはならない。」

洪水が起きたとき、地上の土壌と気候が劇的に変わりました。地球のほとんどの場所で、一年を通じて植物からのみで十分な食料を得ることは不可能となりました。人間が動物の肉を口にすることを主が許されたのはその時でした。しかしこのときにも主は、動物の肉を口にする前に、動物の死骸から血を抜きさらねばならないと言われました。

この一節が示すものについて:
1. 人間はまたも主によって、野生の草花を口にしてもよいと言われました。ヘブライ語での草花は、ヘブライ語で書かれた聖書にある32の節のなかに33回登場しています。私達は今日、歴史的な文脈のなかで、すべてのヘブライ語について完璧に理解しているわけではありませんが、特定の植物のことを指していると理解されています。聖書には、誰かが毒のある植物を口にして死に至ったという記述は見られません。

2. 強調すべき点は、動物の肉以外の部分は口にしてはならないということです。私達は常識として、動物の肉以外の部分を避けることを学んでおり、また主は肉を口にすることを強調されています。したがってそこに私達が注目すべき点があり、肉体の他の部分であるということではありません。

3. 動物の血は抜き去らねばなりません。この一節は天地創造から1,656年後の洪水の後で記されました。

そのとき人間は、なにを口にしてよいか、なにを口にしてはならないかをはっきり理解しました。当時の人々は今日の私達と同じく、動物の特定の部分は避けねばならないということを理解しました。病気に冒されているいかなる動物も口にした場合、死に至ることがあります。人々は病気に冒された、または異常のある動物の肉を口にしませんでした。今日、多くの動物は病気に冒されており、また病原菌や病原体を持っています。こういった動物はどんな場合でも口にすべきではありません。日本では、多くの人々が身体に悪影響のある肉を食べています。

血を口にしてはいけません

創9章 9:4 「…ただし、肉は命である血を含んだまま食べてはならない。」

レビ 7 章7:26-27「また、あなたがたのどこの居住地においても、鳥でも動物でも、その血をいっさい食べてはならない。どんな血でもこれを食べる者はだれでも、その者はその民から断ち切られる。」

注:瀕死の怪我を追っている人や、ひどい貧血状態の人に対して救命策として輸血を行うことはできると信じています。聖書の言葉では血の残った肉を口にすることを禁じており、生命を救うために血を用いることを禁じているわけではありません。

アルコール

聖書で言われているワイン(ぶどう酒)には二種類あります。ひとつはぶどうの果汁であり、これは飲み物とするために果実から器に搾り取られたものです(創世記40:11)。喜びをもたらすものとされているのはこの種類のものです(士師記9:13)。もうひとつの種類は発酵するまで保管され、腐敗した結果アルコールが生成されるものです。

「ぶどう酒が赤く、杯の中で輝き、なめらかにこぼれるとき、それを見てはならない。あとでは、これが蛇のようにかみつき、まむしのように刺す。」(箴 23 章 23:31-32)

なめらかにこぼれるとき、とは発酵過程のことを指しています。

旧約聖書はイスラエルに警句を示しています。「ぶどう酒は、あざける者。強い酒は、騒ぐ者。これに惑わされる者は、みな知恵がない。」(箴20章 20:1)

イエス・キリストがこのような飲み物を与えたとは思いません。発酵は腐敗の象徴であり、また罪の象徴でもあります。腐敗が主の独り子の血を象徴するとなぜ言えるでしょうか?
サタンは人間に、この理性を失わせ霊性を身につけることをできなくさせる飲み物に耽るようそそのかしました。

警句
箴 23 章 23:29-32
わざわいのある者はだれか。
嘆く者はだれか。
争いを好む者はだれか。
不平を言う者はだれか。
ゆえなく傷を受ける者はだれか。
血走った目をしている者はだれか。
ぶどう酒を飲みふける者、混ぜ合わせた酒の味見をしに行く者だ。
ぶどう酒が赤く、杯の中で輝き、なめらかにこぼれるとき、それを見てはならない。
あとでは、これが蛇のようにかみつき、まむしのように刺す。

アルコール以上に、人々が品性の低下や依存に苛まれるはっきりとした有様を語るものがあるでしょうか。人々が己の状態のみじめさに気付き、そのくびきを断とうとしても、その鎖を断つ力がなく「またもやそれを求めて」しまうのです(箴23章 23:35)

イザ 5 章 5:22「ああ。酒を飲むことでの勇士、強い酒を混ぜ合わせることにかけての豪の者。」

イザ 28 章 28:1-2
「ああ。エフライムの酔いどれの誇りとする冠、
その美しい飾りのしぼんでゆく花。
これは、酔いつぶれた者たちの肥えた谷の頂にある。
見よ。主は強い、強いものを持っておられる。
それは、刺し通して荒れ狂う雹のあらしのようだ。
激しい勢いで押し流す豪雨のようだ。
主はこれを力いっぱい地に投げつける。」

「盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません。」(コリ 6 章 6:10)

「私が書いたことのほんとうの意味は、もし、兄弟と呼ばれる者で、しかも不品行な者、貪欲な者、偶像を礼拝する者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪する者がいたなら、そのような者とはつきあってはいけない、いっしょに食事をしてもいけない、ということです。」(コリ 5 章 5:11)

もし飲酒をする場合には、次のことに留意してください。

1. アルコールは常に適量の摂取に止めるべきです。古くからアルコールには水が加えられてきました。混合していないワイン(水が添加されていないワイン)を飲むことは、古くから野蛮なこととみられてきました。

2. 牧師は飲酒してはいけません。

3. もし執事や助祭が飲酒する際は適量に止めるべきです。

4. アルコール依存に苛まれている人は、すべてのアルコール摂取を避けるべきです。

5. 兄弟が石につまずくなら、すべての食物や飲み物を避けるべきです。「しかし、わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、大きい石臼を首にかけられて、湖の深みでおぼれ死んだほうがましです。」(マタ 18 章 18:6)

6. 一般のワインやビールサーバーは強いアルコール飲料と看做されています。「ぶどう酒は、あざける者。強い酒は、騒ぐ者。これに惑わされる者は、みな知恵がない。」(箴 20 章 20:1)
かつてのワインは水が添加されていない場合には野蛮とみなされていたので、常に水が添加されていました。

7. クリスチャンは主の再臨に備え、清浄な精神、そして道徳的に用心深い状態でいるよう指し示されています。(ペテ5章 5:4-7; (参照)ペテ1章 1:13; ルカ21章 21:34)

8. アルコールは道徳的な分別を失わせることとなります。無駄なこととなるため、ワインで酔いつぶれてはいけません。そうではなく霊性で満たさなければなりません。(エペ 5 章 5:18)

9. 科学的な研究の結果、適量の摂取であれば常に良好であると言われています。女性は一日あたり5オンスグラス一杯までワインを飲むことができます。男性は一日あたり5オンスグラス二杯までを飲むことができます。

10. あなたは主の神殿です
コリ 10 章10:31 「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。」
コリ 3 章3:16-17 「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。もし、だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です。」
 
コリ 6 章6:19-20 「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。」

健康、長寿、そして幸福のため、主の指し示す道に従いましょう。



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