キリストの神性
「天国に三人の責任をもって証言する証言がいる:父、言葉、聖霊 魂;
これら三つは一つです」  ヨハネの手紙第一 5:7








イエス自信の主張に加え、弟子たちもまた、キリストが神であることを認めていました。   神だけが罪を赦すことができますが(なぜなら神こそが罪に悲しみと怒りを感じられるからです)、弟子たちはイエスには罪を赦す権利があると主張しました。 (使徒の働き5:31、コロサイ人への手紙3:13;詩篇130:4、エレミア書31:34を比較)。この主張と密接に関係するのは、イエスが「生きている人と死んだ人とをさばかれる」方だと呼ばれていることです(テモテへの手紙第二4:1)。また、トマスはイエスにむかって「私の主。私の神。」と泣き叫びました(ヨハネの福音書20:28)。パウロはイエスを「大いなる神であり私たちの救い主である」(テトスへの手紙2:13)と呼び、この世に人間として生まれるまでは、「神の御姿である方」だったということを指摘しています(ピリピ人への手紙2:5?8)。ヘブル人への手紙の著者は、イエスについて「神よ。あなたの御座は世々限りなく」と言っています(ヘブル人への手紙1:8)。そしてヨハネは「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことば(イエス)は神であった。」(ヨハネの福音書1:1)と言っています。キリストの神性を証明する聖句はたくさんありますが(ヨハネの黙示録1:17;2:8;22:13;コリント人への手紙第一10:4;ペトロの手紙第一2:6?8を参照;詩篇18:2;95:1;ペテロの手紙第一5:4;ヘブル人への手紙13:20と比較)、しかしこの中のどれひとつをとっても、キリストが弟子たちから神だと思われていたことを証明することができます。

イエスはまた、旧約聖書の中で、ヤハウェ(神の正式な名前)にだけ与えられた特有な名称で呼ばれています。旧約聖書からの名称、「購う方」(詩篇130:7;ホセア書13:14)は、新約聖書のなかでイエスのために使われています(テトスへの手紙2:13;ヨハネの黙示録5:9)。イエスはインマヌエル(マタイの福音書1章から。神は私たちとともにおられるという意味)とも呼ばれています。ゼカリア書12:10では、ヤハウェ自身が「彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、」と言っていまが、新約聖書では、これをイエスの十字架上の死に当てはめています(ヨハネの福音書19:37;ヨハネの黙示録1:7)。もし、ヤハウェが突き刺され、仰ぎ見られたのなら、そしてもしイエスが突き刺され、仰ぎ見られたのなら、イエスがヤハウェだということになります。パウロは、イザヤ書45:22?23を、ピリピ人への手紙2:10?11の中でイエスに当てはめています。さらに祈りのなかで、「どうか、私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますよに。」とイエスの名前とヤハウェの名前をいっしょに用いています(ガラテヤ人への手紙1:3;エペソ人への手紙1:2)。もしキリストが神でないのなら、これは神を冒涜していることになります。イエスが「父、子、聖霊の御名によって」バプテスマを授けなさいと命じた時にも(マタイの福音書28:19;コリント人への手紙第二13:14)、イエスの名がヤハウェの名と共に現れています。

神だけが成すことのできる働きの特権が、イエスにも与えられています。イエスは死者を生き返らせ(ヨハネの福音書5:21、11:38-44)、罪を赦しただけではなく(使徒の働き5:31;13:38)、宇宙を造り、維持しているのです(ヨハネの福音書1:2;コロサイ人への手紙1:16?17)!これは、ヤハウェがひとりで天地を創造したと言っていること(イザヤ書44:24)を考慮すると、とても力強いポイントとなります。さらに、キリストは神だけが持つ特性である永遠(ヨハネの福音書8:58)、偏在(マタイの福音書18:20)、全知(マタイの福音書16:21)、全能(ヨハネの福音書11:38-44)を有します。

結論:キリストは自分がヤハウェだと宣言し、自分は神(ほかならぬ唯一の真の神)であると言った。キリストの弟子たち(偶像礼拝を恐れたユダヤ人たち)はそれを信じ、キリストを神と呼んだ。キリストは奇跡を通して自分の神性を証明した。その奇跡の中には、世界を変える事になった復活が含まれている。これらの事実を全て説明できる説はほかになにもない。


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キリストの神性は聖書の教えに沿ったものでしょうか
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